LESS IS MORE.

Words don’t come easy.

スーサイド

 

 

誰でも一度は「死にたい」って思ったことがあるんじゃないかなと思います。

私も今まで何度も何度も思ったことがります。

酷い時なんかは、日常生活の中で常に死場所を探し、どうやったら楽に死ねるかというのを常に考えていました。

 

生きていれば色んなことがあります。大切な人を失った、仕事が上手くいかない、失恋した、病気になってしまった、人間関係が上手くいかない、他の人みたいにできない、経済的に生活が困難、誰かの言動で傷ついた、毎日嫌なことや事件ばかり…など、辛いことって本当にたくさんあります。

 

それは自分で思っているより心を蝕んで浸食して、やがて立ち上がれなくなる。

これは人によってそれぞれで、世間からみたら「こんなことで?」って思うことでも、そうなってしまう人もいる。

受入耐性や繊細さ、感受性の強さは、個人のものさしでは計り知れないですから。

 

自らの手で自らの人生を閉ざしてしまう、そういった選択をしてしまう人、あるいはしようとしている人が根本的に考えていることって”自分には生きている価値がない”

なのではと私は思います。

 

とにかく辛くてもう何もかもから逃げ出したい、消えてしまいたい、

そういった思考に陥ってしまう要因は、自分自身に価値が見出せないからかもしれない。

 

しかも心が沈んでいる時というのは、普段なら大して気にもならないはずの

家族や友人や恋人から言われた何気ない一言が、すっごく胸に刺さったりする。

刺さった刺は抜けなくて、傷は広がって、修復不可能になってしまうこともある。

 

それを埋めてくれるような愛の言葉も、もう届かなくなってしまったり。

 

本来なら味方であるはずの人が、急に敵であるように感じられて怖くなって

世界に自分がひとりぼっちになってしまったと感じる。

 

「置いていかないで」と叫んでも、もう自分には側に置けるような価値がないから

いなくなるのが相応しいと思い込んでしまう。

本当はそうじゃないのに。

 

これもすべて”自分には価値がない”と決めつけるもの、

結局は自己愛が足りていないんじゃないかと。

 

客観的に、自分が置かれている状況を他人事なんて思えないような、大切な誰かに置き換えて考えてみたら

「大丈夫だからね」「大したことないよ」「あなたは素晴らしい人」

そんな前向きな言葉が何の蔑みもなしで出てくる。

それは他者への愛がちゃんとあるからで、その人が大切だからできること。

 

一方、自分のことになるとそうはいかないんだよね。

自分を大切にできず追い詰めてしまう。

 

今の世の中で生きている限り、自己愛を養うのは難しいかもしれません。

日本人はとくに自己肯定感が低いといいますし。

”こうじゃなきゃいけない”という、マジョリティ(多数派)によって作られた常識や価値観を植え付けられ、個性をまったく無視されてしまうから。

十人十色、なんて言葉が昔からあるのにね。

 

だから私にとって、自己愛や自己肯定感は人生の課題です。

本来、価値なんてものは生きているものに付けるには間違ったことです。

 

自分を愛することはそう簡単にできることではないかもしれません。

明確な解決策を私はまだ知りません。

でも少しずつでいいから、自分を認めてあげたい。

 

これを読んでいる人の中にも、死にたいって思っている人がいるかもしれない。

でも大丈夫です。あなたが思ってるよりあなたは一人じゃないです。

 

 

 

 

これはほとんど自分のために書いた拙い戯言ですけど、

同じ気持ちを抱いている誰かの役に立ったらいいです。

 

 

みんな今日もお疲れ様でした。

毎日頑張って生きているあなたは立派です!